三浦佐知子(有限会社弘前こぎん研究所) | こぎん刺し

藍染めの麻と白い木綿糸で刺す、津軽地方に伝わる伝統的な刺し子。
精緻な模様、高度な構造、そして津軽の女性たちの文化が、今に伝えられています。

組織のあらましを教えてください。

建物ができたのは昭和7年、元々は「木村産業研究所」という名前でした。当時の農家は羊を飼っていて、羊毛から布を作るのにホームスパンを推奨しました。他にも焼物やドライクリーニングなども手がけていましたが、それぞれが独立し、最後にホームスパンが残りました。

つまり、当時はまだこぎん刺しに日が当たっていませんでした。

折しも日本に民芸運動が起こり、運動の中心になり日本民藝館の初代館長にもなった柳宗悦さんが研究所を訪れました。この地域に根付くこぎん刺しを知った柳宗悦さんの「なぜこぎん刺しを打ち出さないのか」という熱い声に応えるかたちで、ホームスパン染色担当だった横縞直道がこぎん刺しの調査を始めたんです。

ホームスパン(homespun)とは、イギリス発祥の羊毛の織り物のこと。羊毛を手紡ぎした太糸を手織りする。民芸運動とは、日常の暮らしで用いられる手仕事の日用品の「用の美」を評価する日本独自の運動。

こぎん刺しの調査から?

はい、こぎん刺しは江戸時代に端を発する民衆の文化で、まとまった情報はありませんでした。まずは古いこぎん刺しを集めたり、農家の人たちに話を聞くところからスタートしたんです。結果として、複雑に組み合わされる模様の辞典とも言える模様集が出来ました。

さらに、模様集から基本図案を300選り出し、さらに最小要素となる代表的な柄のパーツを「もどこ」として定義しました。「もとになるもの」→「もとこ」→「もどこ」という意味です。

たとえば「かちゃらず」という図柄は「まめこ」という図柄を裏返すと出来ます。津軽弁で裏のことを「かちゃ」というのですが、「裏じゃないよ、模様だよ」という意味で「かちゃ」に「〜にあらず」がくっついて、「かちゃあらず」→「かちゃらず」という名前になっています。

素晴らしい文化が眠っていたのですね!

江戸時代は藩令によって、農民は麻しか着てはいけませんでした。元々は麻だけで布を作っていましたが、防寒機能が弱く、どうしても寒いのです。しかし、交易により木綿の糸が京都などから手に入るようになってからは、木綿の糸を用いて手織りするようになります。

木綿のほうがずっとやわらかく、暖かかったんです。藍染めした麻に、白い糸で刺し込む。これが当時の最高の贅沢だったと言います。私たちから見ると懐かしさやぬくもりを感じるこぎん刺しですが、昔は晴れ着として用いられたそうです。

さらには、娘が嫁に行く時などは、こぎん刺しを左右一組で持っていくことが習わしだったそうです。嫁入り前、将来の旦那さんのために一生懸命に刺して、嫁ぐんですね。当時は嫁に行くまで旦那さんの背丈が分かりませんでしたから、着られるように仕立てずに持参した、ということです。

なんだか、健気なような、切ないような…

美術品としてのこぎん刺しも素晴らしいと思います。法則的な繰り返し、構造の中ににじみ出る個性、制約の中の美しさがあると感じます。

しかし、何よりこぎん刺しが伝えてくれるのは、北国の長い冬を幾度も越えて、津軽の女たちが刺してきたという歴史の重みです。厳しい環境の中、女であっても野良仕事に駆りだされた時代にあって、こぎん刺しは「この時だけは座っていられる」という楽しみや救いのようなものだったといいます。

一段一段、一日一センチでも続けていれば、いつか大きく美しいものが出来る。津軽の自然の厳しさと、忍耐強い女性たちが、こぎん刺しという文化を生んだんじゃないか、って思うんです。

こぎん刺しを、続けていかれますか?

はい、目が見える限り。